2018/12/28
- 君は尊大な外交をしなくなった。私はついでがあればいつでも君の家へ寄りたい。那賀島は車一台と一日10万円のコーチ料が惜しくなったか。私を「おっちゃん(ゴッちゃん)」呼ばわりしかけた。「血迷ったか!20才も年上の師を」と言ってやった。
「馬上天下を取るべし、されど馬上天下を治むべからず」(耶律楚材)→「臨時の功労者は高い地位につけるな。ボーナスで報いよ」(本多正信)
私から聞いた話を太城君が私にアテハメようとしているのを私は知っていた。「なにィ“百姓は殺すべからず、生かすべからず”(本多正信)と来る気か!」私がヘソをネジ曲げた。
参った、参った。私との “おしゃべり” と紙芝居(テレビの「徳川家康」と「三国志」)を見て太城君が本多正信気どりになってしまっていた。
「私の居る三、四日間(一月トレ)には呼ばないでくれ」と言っておいたら、太城君が聞きつけて「心と体には心得がある。ボクがアドバイスする」と言った。兵法にも心得があるとか。
私は衛生兵の彼を四半世紀(25年)かけて将校(軍医長)に育てようと思っていた。しかし医者と言うのは絶対にダメかな?“先生” と呼ばれた瞬間もう将官(大、中、小将)の気分になってしまうらしい。
- 一月キャンプに彼が来て「チャールズ・ダーウィンの進化論」をやり始めた。反ダーウィン説やマクリントック説ぐらいは言えるが、それをやると「二人のバカ」になるので黙っていると「ハ、ハ、ハ。独演会になってしまった。」と家族を従えて帰って行った。その場合、今の君なら何か言うだろうと君の顔を思い出した。
トレーニングについては「後藤式トレーニングが好調の様で」とくり返し、くり返し言って行った。
それは決して悪口ではないが、それをやられると折角後光の出始めたいい顔で練習していたプロが「オレは後藤式じゃないワイ!」と急に後光が消えてしまう。
君の時もそれで散々応援団にコワされた。人間の本能上そうなるのがアマには判らない。
偉大な父親は、自分の息子が自分以上に偉大になることを潜在意識的に好まない。だから知恵ある父親は「子を替えて教えろ」の諺に従い、我が子は他人に教育させる。
友が他人の前で二人並ぶと必ずライバル意識が発生する。だから知恵ある男は友を “並ばせまい” とする。友が夢中で乗り出して来た(四年前)ので自分が “並ばない” 様にした。
それは誤りだったらしい。プロがアマに席を譲っては “プロの神” に罰を食う?
- 「戦争で最もオソロしいのはさして優秀でない人物による善意からのアドバイスだ」(戦争論)と言う。だから巻野コーチが “勝って” さえ力つきたのだろう。
応援団はキライ、町医者はキライ、スシヅメは御免の私は君の所で不要だろう。私も遊びには行くが君の息子は手出しすまい。応援団長と二人三脚でアドバイスではゾッとする。
一つ問題が解けた。今私は、かつて戸田さんや陳清波がやっていた名誉あるしごとばかりやっていると言えるかも知れない。(トップ・プロのスイング分析)
だがこれをやると(一頁仕事になるので)苦しいところが一層食えなくなる。
「しかし、この道に居ないとアタマがボケる」と今までは考えていた。
ところが、昨年のノーベル賞B・マクリントック博士は八十何才まで数十年トウモロコシと話しているだけでボケなかったと知った。
太城君とオシャベリするのも頭のトレーニングと思っていたが、必ずしもその必要なかったか?新田さんが健在の内は近くに居てやりたいと言う。問題もあるが、そろそろ問題が煮つまって来た。
今私は “野” に適当な仕事があればそっちへ移る。「小崎、那賀島を本にせよ」と言う半注文も入ったので、書くエネルギーさえあれば、私は死なないボケないと確信を持った。まあ君はアマ参謀を持つ他派にだけは天下を取られないでくれ
・・・続く