2018/12/28
さて君はたまに大学(小説)的に君の人生を考えてくれ。
小説とはストーリー(物語)即ち作り話ではある。しかしスペシャリストの小説家は決してこの世の中にある”フォーム“(基本、法則等)を外さない様に必死でストーリーを書いている。”
例えばトルストイは先述の “世渡り貴族” に最後に皮肉な大失敗をやらせている。一旦勝者として凱旋し、そのあと皇帝や皇帝の弟に「フン、しろうとに何が判るか」と言う様な態度を取ったカドで失脚するクツーゾフ将軍を(クツーゾフは最初からその気だったとも知らずに)「ワシは最初からクツーゾフ将軍こそ、真の兵法家だと言ってたんだ」と全面的に支援宣言してしまった為に大アワテして死んで行くのだ。
最初から何も判ってないゴマスリ野郎が、最も判っている武将の中の武将と握手してハッピーエンドにはさせなかった。現実もまた同じだろう。
そしてそのゴマスリ貴族の娘はバカで浮気者で恥知らずだったがロシア一の美女だったので聡明で誠実だがヤボで男前ではないロシア一の金持ち青年と結婚してしまう。結婚して毎日遊び歩き夫は侮辱し、そして財産の三分の二をもらって離婚する。そして急死する。三分の一にしておけば好き勝手に操ってしかもそのあともいいことずくめとは、運のいい女もいるものだなあーと言われて済んだかも知れないが離婚の為に結婚してロシア一の金持ちの財産を三分の二を奪ったではフォームがよくない。
もう一人、ヒロインのナターシャも一時は宮廷舞踏会の主役だった美女だ。彼女は心が純真だ。だが顔はスゴイ、ダンスもスゴイ、乗馬も狩りも出来る。ロシア一のインテリで美男の貴族と恋をする。失敗もする。そして彼女はハッピー・エンドになる。
―それだけの条件がそろっちゃうと彼女のハッピー・エンドは結婚後も歌や舞踏会に一生明け暮れるハッピー・エンドになったらフォームがオカしい。
結婚後は一度も舞踏会などに顔を出さないで誠実な夫と良い子宝に恵まれ家事にいそがしい小太りの主婦として大満足しているーそんなハッピー・エンドになる。
かつて那賀島夫妻へ太城君が私の反対意見をささやいてしまった。
「奥さんはプロの恋人役に徹して下さい。全試合ついて行って慰め役をやって下さい。家事はしないで下さい。音を聞いてプロがイラ立つから。プロは疲れるんです。ストレスが貯まるんです。皆で慰めてやりましょう」
そんなバカなことを言ったら十年後にはプロは奥さんをクソババアと呼んでるよ。勝負師たるべき者が妻と毎日手をつないで試合してたら、この世界じゃタダでは済まなくなるんだ。そう言った私は追放された。そして今では五年にして那賀島は夫人をクソババと言い始めた。
どんなプロだって、それぐらいの法則は知っているのではないか?
なるほど太城君の言う様にこの世の中には十年しても手をつないで歩くオシドリ夫婦もいる。しかしそんな夫婦がいたら、その夫婦には子供がないとか「あれは表面だけだ」とか言う黒い噂がついたり、夫は髪結いの亭主的人生で大スターにはならないとか “いい夫だったのに若死にしちゃった” とか、必ずバランスの法則に見合ったフォームが出来る。
太城君は町医者の余暇で歴史的名軍師をやれると思ってしまった。裕福でただのシロウトで。一、二年のつき合いで、本業があって、修羅場の体験もプロの体験もなくて、名参謀がやれると思ってやるのがオカしい。
諸葛孔明も耶律楚材も本多正信も黒田官兵衛もみんな一度は殺されそうになりながら生きた兵法を学んだ。(みんな一度は主君と戦っている)
腕っぷしも権力もないない者が名将と呼ばれる為には、それぐらいの修羅場くぐりをしてくることが当然のフォームだろう。
テレビじゃ本多正信が「あとは引き受けた」などと犠牲になって出奔する友を見送っているが史実では本多正信も家康に弓を引いている。
耶律楚材はジンギス汗に捕らわれた捕虜だったし黒田官兵衛なんかはテキに捕らえられている間に裏切ったと主君に誤解され家族を殺されてさえいる。参ったネ「あとは引き受けた。後藤クンには犠牲の出奔役が似合ってるよ」と言う顔をされた時は。
・・・続く