天才軍師 後藤修と歩むスクエア打法

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後藤修と歩むスクエア打法 復活前夜16~18

time 2020/02/25

後藤修と歩むスクエア打法 復活前夜16~18
  • さて私の家にどうやら強烈な彗星、天の声がかかった気がする。“もう小説は読まない” と言っていた私に “ジンギス汗” の人「戦争と平和」(トルストイ)だけは読めと言った。
    なる程、紙芝居を見て名軍師気どりの人に私は “百姓” 扱いされたが、この百姓が読んでない史上三大兵法書、史上三大小説、そして両者兼用の「聖書」と「史記」の内では、「戦争と平和」がまだ読んでなかったので(テレビなら見たが)早速この長編に手を出してみると「アッ!」と驚くことが続いた。

以前から私は来年(1986年)を意識していた。ハレー彗星が来るからだ。古老の話ではこの前(1912?)の時も未曽有の大災害があったと言う。そして歴史上にはハレー彗星前後は、騎馬民族(ジンギス汗、フン族のアッチラ大王等)が活躍し、そして “勝つ” 時期だと言う。

だったら私が史上最高の名将としてソンケイするロシアの妖将のクツーゾフがコサック(騎馬隊)を使ってナポレオン軍を史上最高の惨敗にさせた「一八一二戦争」も絶対にハレー彗星が来ていたハズだと周期を調べてみたら合わないのでガッカリしたことがあった。ところが「戦争と平和」の中に「空には、無気味な一八一二年の大彗星が横たわっていた」と言う文章が出てくるのでアッと叫んだ。別の大彗星がちゃんと来ていたのだ。“騎馬民族が勝つ” 時には。

その他ナポレオンは沢山出てくる。史上三大兵法書のクラウゼヴィッツも登場している。そして何と我が名将クツーゾフはこの「戦争と平和」の裏主人公だった。

恋愛小説のこの「戦争と平和」なのに。兵法の真ズイとも言える言葉がいくつも出てくる。「スゴイなぁ」と泣いた泣いた。この宮廷小説(恋愛小説)が、そこらへんの兵法書が逆立ちしても勝てない程の “兵法書そのもの” にもなっているのだ。

恐るべきトルストイ。ロシア人の “いい人” や “インテリ” の肺活量のモノスゴさ。別の人はこの作品を「これ程面白い大衆小説(チャンバラ)はない」(海音寺潮五郎)とも言う。

最上級の貴族(皇帝と親しく話せる公爵)だったトルストイは、貴族らしく妖将クツーゾフを “下品でグズなボケ老人” の失敗者として描写した。

悪鬼の様にコサックを活躍させた妖将クツーゾフをトルストイは、彼等の(味方への)掠奪を押さえられなくて見て見ぬフリをしたと言う風に書いた。皇帝や上流階級への遠慮だろう。
しかしトルストイは「結局、兵法をホントに知っていたのはこのボケ老人だけだった。」と結論している。何のストレスでか、トルストイはこの大長編を何度も書き直している。そしてひそかに、シロウト軍人やバカ医者へくり返し呪いの言葉をぶつけている。

  • 私の知る妖将クツーゾフはこうだ。

突撃隊のスピードがその軍のスピードと言う新戦術でヨーロッパを席捲したナポレオン軍に、一度は苦杯をナメさせられたクツーゾフは(負けてないのに味方の将軍が勝手に作戦変更した)そのナポレオンを徹底的に研究していた。

一八一二年再び開戦するや、ナポレオン軍と引分けては “敗けた” 顔して後退すると言う作戦をくり返し敵軍を “ロシア本土” へ侵入させたどころか、“聖なる美都”(首都)モスクワへまで迫らせ、そこで天下分け目の決戦かと思えば、そのモスクワを焼いてもっと深く後退した。

「進め進め、食糧は向こうへ行きゃある」のナポレオン軍はモスクワを焼かれて仰天した。そして近くの農家はコサック達が掠奪してしまってある。攻めても勝っても食糧のないナポレオン軍はついに夏始まった戦いを零下何十度の「ロシアの冬」に持ち込まれ、地獄と遭遇してしまった。
食べものはない。凍傷で半分以上が死ぬ。ダテ者のフランス人は凍傷で鼻や耳がクサっただけでももう戦意はない。(テントの外へ出ない)

そこへ寒波民族(寒さに強い)のコサック騎馬隊が悪鬼の如く襲いかかる。コサックはフランス軍の中で名のある武士は殺さずに衣服と食べモノを与える。“彼等の名誉を重んじて” ではない。

・・・続く

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