天才軍師 後藤修と歩むスクエア打法

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後藤修と歩むスクエア打法その132 珠玉のエッセイ5/4

time 2019/01/28

後藤修と歩むスクエア打法その132 珠玉のエッセイ5/4

5/3から

江戸時代から続く名門の御曹司だった先生と違い、貧乏人か、せいぜい田舎の庄屋(名主)の末裔程度の私だと、もっと現実的な妥協策を採ることもある。極端な話、右足のかかと返しまではやらせないとしても、右足の蹴りぐらいは生徒たちの欠陥によっては「やれ」と言う時さえある。その場合、それは「ノー」の先生を笑う気はない。「これを先生が見てたら笑うだろうなあ」と自戒しつつも “使う” ことはあるのだ。

ゴルフでも野球でも、ベストとはかけ離れた変則的な素振りをすると本番で良いということがよくある。代表例は強烈ダウンブローで天下を撮った王選手の一本足打法だ。だが先生は、それを良くは言わなかった。 「ダウンブローのつもりだと実際には水平に近いスイングになっているが、水平が正しいなら水平に練習すべきで、ダウン練習は不良、アッパー練習もダメ」と言うのだ。成る程、後日そのダウンブロー練習をヤクルトの大杉選手が試合でも忠実にやろうとして大スランプになったが、私が「アッパーに振れ!」と言って治しちゃったことがあった。「ダウンに振ろうとしたトップとアッパーに振ろうとした時のトップを考えてみろ。ダウンブローではヘッドが寝易いが、アッパーだとヘッドが立っていて、結果的には監督の要求(当時は王選手の師匠荒川氏がヤクルトの監督だった)に沿った結果になる」――― というレトリック?も使った。

実を言うと王選手の一本足打法は、それよりも前に投手の前は打者だった私が先に思いついてやりかけていた。一番の理由は、その大きなバック・スイングだと球がよく飛ぶということよりも、精神的?な問題で私はそれをやりたかった。当時、打者時代だった私は新田式でスイングを教わり、「素振りでは完璧」と先生に言われ「来年は首位打者だよ」とも言われたが、さて当座の二軍戦へ出て行くと打てないと言うよりも、殆ど全部が見逃しで三振だった。二軍とは言え、投手の投げてくる球の迫力に気後れがしてバットが始動しないのだ。それとも、あれもこれもとスイングチェックを考えているスロープレーヤーでは、ゴルフはともあれ野球だと考えているうちに投手の球がベース上を通過してしまい、振った時でも「球が捕手へ到着してから振ったと言われ」見逃した時は「お人形」と言われて笑われたのだ。

恩師は一本足ではなく両足をスクエアにスタンスし、胸は平行、グリップはゴルフのバック・スイングの終わった所へ(コンパクトに?)高く構え、前足は大きく踏み出さずにその場で打つ―――という風に、ゴルフも野球も殆ど同じと教えたのだ。それで “お人形” の私は、これも同時進行で教えられていた投手に転向した。当時私は先生から、ゴルフのパターもショットも野球の投手も打者も全部同じスクエア方式と教えられたが、投手の場合は変化球投げがある。(それだってスクエア投法を教えられたが)ので、何となく自由さもあるからだった。あの頃、もし私がバック・スイングだけは一本足打法というのを先生に強くかけ合って(後は全てスクエア打法で徹底するからと)許してもらっていたら?「王選手になっていた」というのは無理だとしても、そこそこの一流打者になっていたと思う。

その代わり、今ゴルフ界に尾崎(兄弟)や中嶋はいない。“出て” 来ても一度スランプになった時に私に治されずに消えている。必ず消えている。尾崎の破産と言うのは、その “証明” なのだ。治してもらったのに、その功労者を追い出した。それで済んで「ばんばんざい」だと思っていたら、功労者へ払うべき金を投資に回して一生かかっても返せないほどのマイナス(借金)となってしまった。「今に答えが出る」と私はそうなることを予言していた。彼のスランプがどれくらい深く、それを治した者が “どれくらいの功労度” だったかも、そのマイナス度へ出る―――とも言っていた。私がそう言い、尾崎も別の意味らしく同じ言葉を返していたが、「神様はこれまでの全ての材料を使って完璧な絵(答え)を書くものだ」というのは、全て私の予言通りになったのだ。今でも尾崎は助かる道は一本だけある。その方法は、まず神秘的に始め、次は徹底して合理でゆく。昔、尾崎を復活させた後、次に中嶋の復活を請け負った後、私の前で尾崎は中嶋に言った。

「いいことだ。息子の為になる。たとえ自分はダメでも(笑い)」そういう言葉も彼自身へ返ってゆく。そして、その時私の口からスッと次の言葉が出た。「ダメじゃないさ。充分、元ぐらいへは戻る」こういう言葉を神様は全て憶えていて生かす。「元ぐらい」とは言ったが、「充分以上」と私は言わなかった。中嶋も復活したら尾崎のマネして私を追い出すと私は予知していたのか、そういう言葉が出たのだ。私の先生は非常に少ない言葉で結局全てを言い当てる人だったが、私は元作家の卵?だから、先生よりもう少し言葉が多いが、常に言葉を吟味しながらモノを言う。いや、直感と吟味の両方で言う。尾崎はもう、私の所へ過去の無礼をわびて頼みに来る以外に決して助かる道はないが、父とその息子共々何をやっても、どんな努力をしても無駄という運に陥っている。頼みに来た時に私の口からどんな言葉が出るかで決まるだろう。

5/5へつづく

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