天才軍師 後藤修と歩むスクエア打法

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後藤修と歩むスクエア打法その129 珠玉のエッセイ5/1

time 2019/01/07

後藤修と歩むスクエア打法その129 珠玉のエッセイ5/1

師が書き残しているエッセイ第二弾。色褪せることのないスイング理論に ”預言” をご覧あれ。誤字誤植はご容赦。

表題:::【新田先生の教え】  2005年12月

最近ふと気づいたことがある。太平洋戦争で日本を敗戦させたアメリカ軍の総司令官D・マッカーサー元帥が、その職を辞任際に残した言葉が昔から何の意味か分からんとよく思っていた。「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」と言う有名な言葉だ。

最近それが「分かった!」というか、「私もだ?!」と思うようになった。それはただ「じゃあ、さよなら」とか、「お名残惜しう」ということでもなく、もっとずっと強い意味が込められていると見た。「私はこれで辞任する。私は私のやった作戦(例えば最初の頃、アメリカ軍は日本軍に苦しめられたこと)や、日本での占領政策に多くの批判があることを知っているが、それらは全てその時点でベストの作戦だった。よって過去も将来も誰も私を笑いものには出来ない。私も今から改めて大事業などしないから高転びはしない。政治への予言とかで評論家ぐらいはやるかも知れないが、ひどい間違いはしない。そうやって少しずつフェードアウトして行くのみだ」と言った意味ではないか。そしてその中には、自分は一万メートルの上へ登りつめた歴史上の人物だという強い自信が、敢えて自分を老兵と呼んだ中に込められているのではないか。そこで、私も数々の仕事を勝ち抜いた老兵だとは(いずれ言いたいが)まだ言いたくない。

それよりも、そのマッカーサーが一度日本軍によってフィリピンから追い落とされた時に言った言葉、「私は必ず戻ってくる(アイ・シャル・リターン)」の方が今の私の心境にピッタリだと思っている。だからと言って、私は今尾崎や中嶋や、そして小者の石垣に替わるプロに取り入ろうと言う気もない。相手は研修生であろうと、或いはアマチュアであろうと構わない。「この新打法を三流プロがやったら、どこまで行き、トッププロがやったら世界戦でどこまで行く」というのが、大体全部見えるのだ。
或いは、何らかの形での証明も必ず起きる。株を買ってみると判る? 彼がこのスイングをやっていたら、この十倍ぐらい稼いでいたのだな──― と。新聞を見ていても判る。やるべきことをやらなかったプロが思わぬ破産をしたり、病気にやられたりするので判る? いや、それはオカルト主義だとして、この冬私はまたいくつかの新戦術を造り出した。アマとプロとの違いは何か?或いは一流プロと三流プロとの違いは何か? どっちでもいいけど共通点がたくさんある。一流プロというのは、まず何よりも“ふところ” がいい。いい手(黄金の右手)、いい指(プラチナのタッチ)を持っている。それは決定的に天性のもので人為的には作れないものか。

必ずしもそうではない。だが、「バカとアタマの固い者は体も固い」などという問題もあり、勿論簡単には作れない。しかし本人に謙虚さがあればバカも石頭も治せば治せる。ダメなのは夏目漱石の言う「行徳のまな板?」で、“バカですれてる”石頭? まあ、すれ石頭プロなんてのは高転びはしない。そんな高い所へは決して昇れないからだ。ちなみに行徳のまな板が何故 “バカですれてる” のかと言うと、千葉県行徳の海辺で採れるバカ貝は人間が食べると味悪だが、農作物の肥料としては良品なので、まな板へ載せてすり潰して出荷する。即ち、そのまな板はバカ(貝)ですれている ――― ということらしい。すれていると言えば、もう一つ昔の宝石は石で磨いたそうだが、石も磨かれて光る宝石と他の石(宝石)を磨きながら、擦り切れていく石の両方がある。擦り切れる石は光らないのだ――― とは前回あたりに書いたと思うがそれで連想することがある。

私の恩師は故新田恭一氏。この人は日本の野球とゴルフ界の理論に革命を起こしたと言える偉大な人だったが、そこで私の生徒の一人がホームページで “新田恭一” の欄を検索してコピーを取って私のところへ持って来た。何人かの人が「新田先生に教わったこと」を載せていた。それは嬉しい。新田先生は日本の野球とゴルフに革命を起こしたほどの貢献者だったのに、現実には当時皆で新田理論を笑いものにして忘れてしまった形になっているが、ちゃんと憶えている人もいるのだと。但し、新田理論というのは、決して「これをやったら、あーら不思議。早速ゴルフの名人になった」的な大道香具師的なものではないし、「これさえやっていれば、いずれはゴルフの達人になる」といった “秘伝” 的なものでもない。新田理論というのは当時(も今も)最も科学的(合理的)なもので、そこから成果を出すには、長い年月やらあらゆる角度からの改善やら、最初は笑いものでも石(垣)にかじりついてもやり切る継続性を必要とし、やり切って始めて高い居場所(高所一万メートル)とか長い選手寿命となって表れる――― というものだ。

その点を言わずに秘伝秘術的に近く語られていたのが、やや不満だった。まあスイング理論も秘伝秘術的に語るとロマンがあっていいか? だがその場合、結局「オレも試してみたがダメだったよ」的に、今も笑いものにされてることにつながらないか?だったら私は「私の継承する新田式打法は、二年や三年では出来上がるものではないのを笑うものは笑え。わずか五年か十年だ。毎週新しい打法を試してみては取り替え、結局五十年やっても何の成果もないよりケタ外れに効果的なのが新田式打法だ」といきたい。

5/2へつづく

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