天才軍師 後藤修と歩むスクエア打法

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後藤修と歩むスクエア打法その70 特別編 ページ9,10

time 2018/01/16

後藤修と歩むスクエア打法その70 特別編 ページ9,10

・・・7,8からの続き (全15ページ)

まずボルグがまだ帝王だった時代。いいフォームだと思った。そのサーブは野球の投手と殆どおなじだ・・・という感じだったし、そのレシーブは野球の打者とよく似ている、即ちゴルフと似ていると思った。これ即ち、“法定” 論?の始まりとも言えたが、彼の欠陥は少しルックアップが早い目なことかなとか思っているうちに、彼が優勝賞金への課税を安くする為に国籍を移したとかいうニュースがあったので、「何だ、そりゃ」で彼への興味を失い、そのフォームも「それほどのもじゃなかった」として細部は忘れた。だから私は彼のフォームの欠陥は少しルックアップが早い目なことかな・・・とか思っているうちにという表現を使った。

「と思っているうちに」と言えば、彼の欠陥はそれだったという記憶は “確定” なのだが、「とか思っているうちに」という表現ならば、その欠陥は別の点だったかも知れないが、詳しくは覚えていないということになり、その言葉には税金に文句をつけるほどのベストスイングじゃなかった・・・という意味も含まれているのだ。

続いては “サービスエース王” マッケンローと “リターンエース王” コナーズ時代。しかし、それにしてもまるで一打ごとにと言えるほど、審判の判定に文句を言うマッケンローのマナーの悪さは「そりゃ何だ?」だった。 変則と言われた彼のサーブ打法を私は変則と思わないと言ったり書いたりもした記憶があるが、途中で彼のマナーの悪さには  ”うんざり”  して来たのだ。 一方のコナーズは、そのサーブが毎回大声を出して打つ割には「あわれ」と表現した記憶がある。その腕の振りはいいスイングではあった。だが、その前に(大声なんぞで ”コケおどし!?” をかけるよりも) ”やることをやっておいて” からでないと・・・だった。 その ”やること” とはバックスイングでの上半身の充分な捻転のことであり、それを私は「充分」とだけ呼んだり(ダメなものは「不充分」と呼ぶ)、バックハンド(上半身のバックハンド感=テニスの球をバックハンドでレシーブする時の上半身の形)と名付けたりもしている。

一方のマッケンローは、まるで相手コートとは直角方向へ打つつもりであるかの如くに上半身を充分以上に(下半身まで?)捻転してサービスエース王になっているのに、コナーズの方は腕の振りの(C→Iの)良さだけで上半身の捻転なし、いやその代わりには ”大声” アリでは「あわれ」などと表現したくもなったのだ。

今にして思えば、その「あわれ」は言い過ぎで「それにはそれでメリットがあったかも知れない(例えば、その後尾崎がやったオープン・スタンスからドロー。そこから強打ボールを出そうとすると、一見 ”不充分” には見えても内容的には充分な右半身の “貯め” か ”圧縮” = ”ふところ” が出来たりするのだ)。

ついでに言うと、マッケンローの ”充分以上” のバックスイングは、その後野球の野茂投手がアメリカ大リーグで ”再現” ?し、見事な成果をだした。だが、こっちの方もそれにはそれなりのデメリットがあって、90度、いや100度上半身を捻転させれば ”よし” とされる上半身を、本人の体が柔らかいからだろう180度回してみせ、ちゃんとそこから見事なコントロールで球を投げられる(打てる)というのは素晴らしいことであり、天才のみの行い得る至芸でもあるが、その180度の直後(バックスイングの切り返しの時点)に180度が170度になっていたら何にもならない。   ページ9

いや、175度でも179度でもダメ・・・という問題がある。それで私は今年度の春先、相手は好漢らしき野茂投手ではあっても憎々しくも「野茂はもはや決して大リーグでは通用しない」と預言しているのだ。180→170度以下では紙上(当欄だから ”欄上” ?)からはとても助けられない・・・と判定したのだ。

私の所へ来てくれれば治していたと信じる。下段(足)を治し、中段(股関節)を治し、上段(肩甲骨)を治し(そしてゴルフをやらせてドローを打たせる)という具体案を私は持っていた。「では、どうするか」の自信策を持たずに私はプロを批判しない・・・と依然から言っているのだ。太極拳や心身相術の先生の所へ連れて行くかも知れない。 「そんなことなら」と、本人が直接武道や整体術やトレーニングコーチの所へ行ってもダメだったろう。上段、中段、下段の全部が正解で治さないと、大選手のスランプは治らないものなのだ。

話がゴルフ(全米オープン)から野球と今度はテニスへ飛んでいるし、紙数も危うくなり始めたが、「ゴルとは汎スポーツ(汎武道、汎兵法)なのだ」という以上に、これらはゴルフにほぼ直接的に重要にからむ話なのだからとだけ言って先に進もう。

テニスの話が片付いていないので、まずはテニスへ戻るが、そのマッケンローとコナーズのほぼ同時代か、少しあとぐらいかに女子でナブラチロワという女王が出た。これは歴史的ベストスイングというか、史上ナンバー1 候補と言うかの見事なスイングで、当時私は「これだと日本の男子のナンバー1 よりは強いだろう」とか、「もし彼女のプレーをゴルフのスイングに置き換えられるような器械があったら(将来必ず出てくる筈だ)、彼女をハンデ0 とすれば今の ”女子世界一” だとハンデ9 ぐらいの差があるだろう」とか紙上で言った記憶もあるほどだ(バレエの世界一とも言える森下洋子のも同じ言い方をした)。

全てが完璧に見えたナブラチロワだったが、彼女の ”趣味” ?はレズ・プレーだとかいうのを誌上で何度も見かけたのでまた「何だ、それは?」となった。 我々スポーツマンは、動物の世界から大いに学ぶべきだと私は思っている。動物はふかふかのベッドの上なんかぞでは決して寝ない(硬い岩の上で寝る?)から体は柔らかいのだし、酒は飲まないし、腹一杯ものを食べないし、常日頃 ”自分でマッサージ” はするし、寝て起きたらストレッチはするし等々。

そして動物の世界にレズだのホモだのはない。年の僅かの期間、交尾期というものがあるが、あとは殆ど動物(時に猛獣型)の行動とは ”戦いの為の準備” だと私は受け取っていて、生徒には「青春というのは必ずしもセックスのことではない、それは青春の一部とか半分近くではあっても、残りの半分はこれも一部である ”戦い” と、その為のあらゆる準備、即ち ”訓練” が青春だと思え」と言ったりしている。死後の世界の為に訓練するともなれば、人間は一生が青春だ。いや、先へ進もう。
ページ10  ・・・次号へ続く

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